「ウィキペディアの歩き方」に参加してきました

ウィキペディアの歩き方」というイベントに参加してきました。このイベントは、関西ウィキメディアユーザ会が主催する第1回ウィキペディアアカデミーとひょうごんテックが主催する第14回テックカフェとが合体した茶話会です。

いつものテックカフェと同様、休憩を挟んだ二部構成で、前半はセミナーで後半はディスカッションでした。前半のセミナーでは、まっきい@村上さんによるウィキペディアに関する全般的な説明、そして木津尚子さん(id:Britty)による、自分自身に関する記事や自分の所属団体を扱う記事に投稿するときの注意点や、誤記を見つけたときの訂正方法などの話がありました。

この茶話会で強く印象に残ったのは、木津さんが述べた、「自分の団体についてウィキペディアにまだ何も書かれていないというのは、その活動が人々に知られていないということであり、自分でウィキペディアに書くよりも、人々に知られる努力をすべきである」という話でした。この話が印象に残った理由は、それが、私にとってウィキペディアとは何かという問題と密接に関連しているからです。

ウェブサービスというものは、それが巨大になればなるほど、「あなたにとってそれは何か」という問いに対する回答も多様化することになります。「あなたにとってウィキペディアとは何か」という問いに対しても、おそらくさまざまな回答があるでしょう。私の回答は、「それはミームフィルターである」というものです。

人間は、遺伝子の乗り物であるのみならず、ミームの乗り物でもあります。人間による文化的あるいは社会的な情報の発信は、ミームの繁殖を目的としたものであると考えることができます。しかし、ミームには、常識と化してしまうほど繁殖するものもあれば、まったく繁殖しないで忘れ去られてしまうものもあります。一定のレベルを超えて繁殖したミームのみを残し、そのレベルに達していないミームを排除するフィルターのようなもの、私はそれを「ミームフィルター」(meme filter)と呼びたいと思っています。

ウィキペディアに限らず、百科事典というものは押しなべて、ミームフィルターとしての機能を持っています。しかし、ウィキペディア以外の百科事典は、きわめて高いレベルにフィルターを設定しているため、ごく普通の人間が創造したミームがそこに反映されるというのはほとんどあり得ないことです。それに対してウィキペディアは、努力さえ惜しまなければごく普通の人間であっても自分が創造したミームがそこに反映されるという比較的低いレベルにフィルターを設定しています。これは、自分が創造したミームを繁殖させようとしているブリーダーにとって大きなモチベーションを与えてくれるものと言っていいでしょう。

宗教の教祖の仕事は、宗教というミームを創造し、それを繁殖させることです。私も教祖の一人ですから、自分が創造したミームを繁殖させなければならないわけですが、現在のところ、ウィキペディアは私が創造したミームにはほとんど言及していません。しかし、それは悲しむべきことではありません。なぜなら、ウィキペディアは、それに言及しないことによって、「お前はまだ努力が足りぬ」と叱咤激励してくれているのだからです。