縁結びの神様を求めて:山形編

日本全国の非モテの皆様に縁結びの神様をご紹介する「縁結びの神様を求めて」シリーズ。今回はその第三回といたしまして、山形県最上郡戸沢村に鎮座する仙人堂という神社にいらっしゃる縁結びの神様をご紹介したいと思います。

仙人堂は、外川神社、あるいは外川仙人神社とも呼ばれる神社で、最上川のほとりに建てられています。松尾芭蕉も、最上川を船で下るときに船の上からこの神社を見たらしく、「奥の細道」の中で、

白糸の滝は青葉の隙々(ひまひま)に落ちて、仙人堂、岸に臨みて立つ。水漲(みなぎ)つて舟あやふし。

というように、この神社に言及しています。

仙人堂の最寄り駅は、JR陸羽西線高屋駅です。陸羽西線というのは最上川に沿って走っているわけですが、高屋駅はその左岸にあるのに対して仙人堂は右岸にあります。橋はありませんので、対岸へ渡るためには渡し舟を利用する必要があります。船着場に立てられている「仙人堂の渡し舟をご利用の方へ」という案内板には、

白い旗を仙人堂に向かって振って下さい。OKの場合は仙人堂でも白い旗を振った後、間もなく船が迎えにきます。

と書かれていて、その案内板のそばに旗が置かれています。なかなか素敵な連絡手段です。

仙人堂は、源義経の従者だった常陸坊海尊によって創建された神社です。海尊は、平泉へ逃れる義経とともに最上川を遡上したのですが、手傷を負っていたため、足手まといになるのを恐れてこの地に残ったそうです。彼が創建した神社が「仙人堂」と呼ばれるようになったのは、そののち彼が修行を積んで仙人になったという伝説に由来しているようです。

高屋駅と仙人堂とを結ぶ渡し舟を運行しているのは、最上峡観光開発株式会社という会社です。この会社のウェブサイトの中にある「義経ロマン観光の船下りで訪ねる「縁結びロード」」というページでは、仙人堂は「縁結び神社」と呼ばれています。しかし、仙人堂のそばに立てられている「仙人堂由来書」という案内板には、

古くから農業の神として、又航海安全の神様として厚く信仰されており、……

と書かれていて、縁結びにご利益があるとは書かれていません。仙人堂に縁結びのご利益があるというのは、渡し舟を運行している会社の社長を務めておられる、芳賀由也さんという方が言い始めたことのようです。

仙人堂の祭神は日本武尊です。日本武尊と言えば、「縁結びの神様を求めて:愛知編」で紹介した連理の榊をお手植えされた神様ですから、縁結びの神様としては申し分ありません。ところが不思議なことに、芳賀さんの会社のウェブサイトは、仙人堂の祭神である日本武尊にはまったく言及していません。芳賀さんは、仙人堂に縁結びのご利益があるということを、どのような根拠で主張しているのでしょうか。

芳賀さんの会社のウェブサイトの中には、「義経と芭蕉の出会い」というページがあって、その中には次のような記述があります。

日本史上最大のスターともいえる源義経は、この最上川を舟でさかのぼった。一方、俳聖松尾芭蕉は、最上川を舟で下った。

そして、時空を超えて義経芭蕉のロマンの出会いをした仙人堂は、今多くの人びとの情熱によって甦った。

これがおそらく、仙人堂には縁結びのご利益があると芳賀さんが主張する根拠だと思われます。つまり、義経芭蕉とが時空を超えて出会うことができたのは、仙人堂が二人の縁を結んだ結果だということです。しかし、「出会い」というのは本来、複数の人間が同じ時間と同じ場所を共有することです。500年の時を隔てて義経芭蕉が同じ場所に立ち寄ったことを「出会い」と呼ぶのは、ちょっと強引すぎるのではないでしょうか。

そもそも、時間差のある軌跡の交差を「出会い」と呼んだのでは、日本武尊が縁結びの神様である理由を全力で否定することになってしまいます。彼は、愛する宮簀姫(ミヤヅヒメ)と萱津で会うつもりだったのですが、時間差が生じたためにそれができなかったのです。だからこそ、後世の人々にこのような悲劇が起きませんようにと願って雌雄二株の榊を萱津の地に植えたのです。彼と宮簀姫とのすれ違いが「時空を超えた出会い」であったならば、彼はそれを悲劇だとは認識しなかったでしょう。

もしもこれから仙人堂を訪問して日本武尊に縁結びをお願いしようと思う人がいらっしゃいましたら、現地に立たれました折には、義経芭蕉との時空を超えた出会いのロマンを味わうだけではなく、日本武尊と宮簀姫の悲しいエピソードにも、ぜひ思いを馳せていただきたいと思います。