「イスラームと科学」というシンポジウムを聴講してきました

先日、同志社大学一神教学際研究センターが主催する、「イスラームと科学――もう一つの視点からイスラームを考える」というシンポジウムを聴講してきました。

講師は、テヘラン大学神学部准教授のモジュタバー・ザルヴァーニーさんと、メノフィア大学文学部哲学科教授のラーハ・オスマンさん。パネルディスカッションのパネリストは、そのお二人と、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科教授の小杉泰さん。そして司会は同志社大学神学部教授の小原克博さん。

同志社大学一神教学際研究センターが主催する講演会やシンポジウムで質疑応答のときに質問をする方式は、これまでは、挙手をして指名されてからマイクを受け取って喋るという、私のような引っ込み思案の人間にとってはハードルの高いものでした。ところが今回は、パネルディスカッションが始まる前に質問を紙に書いて提出するという、私のような人間でも臆せずに質問できる、ありがたい方式でした*1

張り切って質問を書いたところ、司会の小原さんの目に留まったらしく、質疑応答のときに取り上げられたいくつかの質問の中に、私の質問も含まれていました。小原さん、ありがとうございました。

ちなみに、私が書いたのは次のような質問でした。

ザルヴァーニー先生にお尋ねします。

先生は、「哲学は、預言者イマームの次に位置づけられる」という哲学者の言葉を引用されましたが、哲学のこの位置づけは、現在のイランの大学でも継続されているのでしょうか。

私の質問に対するザルヴァーニーさんの回答は、イエスかノーかという単純なものではなく、残念ながら私の単純な頭では理解できないものでした。イランの現在の体制のことを考えると、きわめてデリケートな問題を含む質問だったのかもしれません。

*1:最近、質問の形を借りて自説の披露をしようとする常連さんがいるので、ついに主催者が業を煮やしたのかもしれません。