縁結びの神様を求めて:佐賀編

日本全国の非モテの皆様に縁結びの神様をご紹介する「縁結びの神様を求めて」シリーズ。今回はその第四回といたしまして、佐賀県佐賀市大和町大字久留間に鎮座する男女神社(なんにょじんじゃ)という神社にいらっしゃる縁結びの神様をご紹介したいと思います。

まずは道順を説明しましょう。

  1. 最寄り駅は、JR唐津線小城駅(おぎえき)です。
  2. 駅から北に向かって歩いていくと、30分ほどで「中町」という表示のある交差点に出ますので、そこを右に曲がります。
  3. 50分ほど歩くと、「山王北」という表示のある交差点に出ますので、そこを左に曲がります。
  4. 数分歩いて、高速道路(長崎自動車道)の下を潜り抜けたところで右手を見てください。鳥居が見えるはずですので、その鳥居のある道を進みます。
  5. 10分ほど歩いたところに左向きの矢印のある男女神社の看板がありますので、そこを左に曲がります。
  6. みかん畑の中のゆるやかな坂道を15分ほど登っていくと、男女神社に到着します。

「男女神社」という社名を聞いて、「良縁を願う人々をターゲットにして創建された歴史の浅い神社だろう」と思った方がいらっしゃるかもしれませんが、その推測は間違っています。境内に立てられている「男女神社(旧村社)由来記」という案内板には、この神社の創建年代について次のように書かれています。

元亀元年(一、五七〇)今山の陣で兵火の為、宝物古文書等焼失し、その創建年月は不明であるが、少なくとも今より六百五十年以前に創建されていたと推定される。

この案内板が立てられたのは平成元年(1989年)ですので、650年前というのは、延元四年(1339年)ということになります。

男女神社の祭神は伊弉諾尊伊弉冉尊*1で、この二柱が縁結びの神様です。「男女神社」という社名は、祭神が男神と女神の二柱だということに由来しているようです。

伊弉諾尊伊弉冉尊は、いかなる理由によって縁結びの神様として崇拝されるようになったのでしょうか。おそらく最も大きな理由は、彼らが夫婦だからでしょう。たとえば、明治天皇昭憲皇太后の夫婦を祀っている明治神宮も、縁結びにご利益があることで知られています。しかし、夫婦の神様を祀っているすべての神社が縁結びを主要なご利益としているわけではありません。たとえば、橿原神宮は、神武天皇と媛蹈鞴五十鈴媛(ヒメタタライスズヒメ)の夫婦を祀っているにもかかわらず、縁結びは主要なご利益ではありません。祭神が夫婦だとしても、その条件だけで縁結びの神様として崇拝されるわけではなく、それ以外にも何らかの条件が加わる必要があるようです。

それでは、伊弉諾尊伊弉冉尊の場合は、夫婦という条件に加えて、いかなる条件が加わることによって縁結びの神様として崇拝されるようになったのでしょうか。

縁結びの神様を求めて:愛知編」で、縁結びの神様として萱津神社の連理の榊を紹介しましたが、その神様の背景にあるエピソードは、伊弉諾尊伊弉冉尊を縁結びの神様にした条件についてのヒントとなっているのではないかと思われます。

萱津神社の連理の榊の背景には、日本武尊と宮簀姫との間に起きた悲しい行き違いのエピソードがあります。日本武尊は、宮簀姫に逢うことができなかったことを大いに悲しんで、「後世の人にこのような悲しみがないように」という祈願を籠めて、雌雄二株の榊を植えたのです。つまり、「自分たちにはこのような不幸があったけれども、後世の人にはそのような不幸がないようにしたい」という思いが、縁結びの神様を生むことになったのです。

日本武尊と宮簀姫と同様に、伊弉諾尊伊弉冉尊についても、次のような悲しいエピソードが伝えられています。

――伊弉諾尊伊弉冉尊はとても仲睦まじい夫婦で、協力して日本の島々や神々を生みます。ところが、伊弉冉尊軻遇突智カグツチ)という火の神を生んだとき、彼女はその神に体を焼かれて死んでしまいます。伊弉諾尊は彼女を追って黄泉の国へ向かいます。黄泉の国の暗闇の中で、伊弉冉尊伊弉諾尊に、「私を見ないでください」と頼むのですが、伊弉諾尊は火をともして、蛆の湧いた彼女の姿を見てしまいます。伊弉冉尊は怒り、それが原因となって二人は縁を切ることになります。

おそらく、日本武尊と同様に伊弉諾尊伊弉諾尊も、この事件ののち、「後世の人には自分たちのような不幸がないようにしたい」と願ったに違いありません。そして、この思いが彼らを縁結びの神様にしたのだと思われます。

このように、たとえ夫婦の神様であっても、彼らが縁結びの神様として崇拝されるようになるためには、夫婦であるという条件だけでは不十分で、何らかの別の条件がそこに加わる必要があります。伊弉諾尊伊弉諾尊の場合は喧嘩別れという悲しいエピソードが加わったわけですが、加わる条件は必ずしも悲しいエピソードに限られるわけではないようです。たとえば、明治天皇昭憲皇太后の場合は、彼らをめぐる悲しいエピソードが伝えられていませんので、加わることによって彼らを縁結びの神様にしたのは、悲しいエピソードではなく、何らかの異なる種類の条件であろうと思われます。

*1:「男女神社(旧村社)由来記」では、イザナミノミコトは「伊弉円尊」と表記されています。