縁結びの神様を求めて:熊本編:弐

日本全国の非モテの皆様に縁結びの神様をご紹介する「縁結びの神様を求めて」シリーズ。今回はその第五回といたしまして、熊本県熊本市西区春日に鎮座する北岡神社(きたおかじんじゃ)という神社にいらっしゃる縁結びの神様をご紹介したいと思います。このシリーズではすでに、熊本県玉名市に鎮座する疋野神社(ひきのじんじゃ)を第一回でご紹介していますので、熊本県の縁結びの神様をご紹介するのは、これで二回目ということになります。

北岡神社は、JR熊本駅から徒歩数分という、きわめて交通の便のよいところに鎮座しています。JRの線路が神社のそばを通っていますので、車窓からもその一角を見ることができます。

北岡神社の創建について、公式ウェブサイトには次のように書かれています。

当神社は承平四年(934)第六十一代朱雀天皇の御代に、武勇名高い藤原保昌肥後国司として下向された際、凶徒の叛乱と疫病の流行を鎮めるために京都の祇園社(八坂神社)の御分霊を勧請し、飽託郡湯原(現二本木五丁目)に府中の鎮護として創建されたのが始まりとされ、当地でも祇園社祇園宮と尊称されていました。

ちなみに、藤原保昌が生まれたのは天徳二年(958年)のことです。北岡神社が創建されたと伝えられる承平四年(934年)は彼が生まれる24年前のことですから、創建年代または創建者のどちらかは、おそらく社伝が伝えるとおりではないと思われます。

八坂神社の分霊を勧請したわけですから、北岡神社の祭神は素盞嗚尊と奇稲田姫と八柱御子神ということになります。境内には摂社や末社もいくつか建てられていて、北岡神社を創建したと伝えられる藤原保昌も、京国司神社という末社に祀られています。

古くは、八坂神社は祇園社と呼ばれ、その祭神は、牛頭天王頗梨采女(はりさいにょ)、八王子と呼ばれていました。牛頭天王祇園精舎を守護する仏教の神様で、頗梨采女は彼の妃、八王子は彼らの間に生まれた八柱の王子です。日本においては、牛頭天王は素盞嗚尊と、頗梨采女奇稲田姫と、八王子は八柱御子神と同一視されることになります。彼らの呼び名が変更されたのは、慶応四年(1868年)3月28日に発令された神祇官事務局達が、仏教の神号を神道の神号に改めるように命じた結果です。

素盞嗚尊と奇稲田姫は、島根県松江市に鎮座する八重垣神社にも祀られていて、その神社にいらっしゃる夫婦神は縁結びの神様として知られています。しかし、八坂神社や、その分霊を勧請した神社に祀られている夫婦神は、同じ名前で呼ばれる神様であるにもかかわらず、縁結びにご利益があるとはあまり認識されていません。その理由はおそらく、八坂神社や、その分霊を勧請した神社に祀られている夫婦神が素盞嗚尊と奇稲田姫と呼ばれるようになったのが慶応四年以降のことだからだろうと思われます。

北岡神社にいらっしゃる縁結びの神様は、「厄除の夫婦楠」と呼ばれる2株のクスノキです。これらのクスノキは、社頭にある鳥居から楼門へ向かう石段の左右にそびえています。楼門に向かって右側が雄楠、左側が雌楠です。雄楠のそばに説明板が立てられていて、そこには夫婦楠の由来が次のように記されています。

当神社が御遷座されてより、北岡の森に自生していた一対の楠の大木に御神霊がやどったといわれ、以来御神木として崇められております。この楠の間をくぐり参拝すると、特に厄除開運・夫婦円満また縁結びのご利益が授かると古来より伝えられています。

北岡神社は創建ののち何度か遷座していますが、この夫婦楠の由来の中で言及されている遷座は、正保四年(1647年)に熊本藩第二代藩主細川光尚によって現在地の北岡の森に遷座したことを指していると思われます。

社頭にある鳥居のところには、「夫婦楠『良縁まいり』」と題する看板が立てられていて、そこには夫婦楠を参拝する手順が書かれています。それによると、鳥居の前で一礼したのち、雄楠と雌楠の周囲を8の字を描くように廻る、という手順になっているようです。8の字は、男性と女性とでは描き方が違っていて、男性は雌楠の周囲を廻ってから雄楠の周囲を廻り、女性は雄楠の周囲を廻ってから雌楠の周囲を廻るようにと指示されています。

夫婦楠を参拝する手順の末尾の部分には、「手水を済ませ、本殿にて心を込めてお参り下さい」と書かれています。夫婦楠に向かって祈願しなさいという指示がないところから考えると、祈願は、夫婦楠のそばでするのではなく、本殿でしなければならないようです。御神木と本殿の位置関係から考えると、本殿に向かって拝殿の前に立つと、御神木には背中を向けることになります。

北岡神社のみならず、多くの神社の境内には「御神木」と呼ばれる巨木があって、そこには神霊が宿っていると考えられています。そして、御神木に宿っている神霊からご利益を授かりたい場合には、その御神木の近くに立って、その御神木に向かって祈願をするというのが普通です。北岡神社の夫婦楠に宿っている神霊からご利益を授かりたい場合に、その夫婦楠に向かって祈願するのではなく、本殿で祈願しなければならないというのは、奇妙なことのように思われます。

夫婦楠は、かなり交通量の多い道路のすぐそばに生えています。おそらく、夫婦楠のそばではなく本殿で祈願するようにと神職が指示している理由は、夫婦楠のそばに賽銭箱を置くと盗難の危険性が高いと彼らが判断したからでしょう。しかしそれでも、果たしてそれでよいのか、という疑問は残ります。そのような参拝形態が成立するためには、夫婦楠に宿っている神霊と同じ神霊が本殿にも祀られていることが前提となるはずですが、その点はどうなのでしょうか。

夫婦楠に宿っている神霊が本殿にも祀られているということについての説明は、雄楠のそばの説明板にも、参拝の手順を示す看板にも書かれていません。私以外の参拝者は、奇妙だと思わないのでしょうか。奇妙だと思わない参拝者は、夫婦楠に宿っている神霊が本殿にも祀られていると、どのような根拠で推測しているのでしょうか。

その根拠としては、二つの仮説を立てることができそうです。第一の仮説は、「夫婦楠への祈願を本殿でしてもらうために、夫婦楠に宿っている神霊を神職が本殿に勧請している」というもので、第二の仮説は、「この神社の本殿の祭神と同一の神霊が夫婦楠にも宿ったのだ」というものです。

第二の仮説を採用している参拝者は、おそらく、雄楠には素盞嗚尊、雌楠には奇稲田姫が宿っていると考えているのでしょう。しかし、御神木に宿っている神霊というのは、無名の神々であると認識されているのが普通です。素盞嗚尊や奇稲田姫のような記紀に登場する神が御神木に宿っていると考えるのは、少し無理があるように思われます。ですから、第二の仮説を採用している参拝者というのはかなり少数で、大半は第一の仮説を採用しているのではないかと思われます。

いずれにしても、夫婦楠を参拝する人々の大多数は、このような仮説を立てることによって、それほど奇異の念を抱くことなく、本殿に向かって夫婦楠への祈願をするのであろうと思われます。しかし、夫婦楠ではなく本殿に向かって祈願するようにという指示に奇異の念を抱く人間も、私のみならず、少なからず存在するに違いありません。もしも、この拙文をお読みの方が北岡神社の関係者でしたら、私のような人間も奇異の念に心を煩わせることなく参拝することができるように、御神木に宿っている神霊が本殿にも祀られているということについての説明を、参拝の手順について説明する看板に追加していただけますようお願いしたいと思います。