ディープな観光スポット:群馬編

「ディープな観光スポット」シリーズの群馬編として、山王廃寺跡(さんのうはいじあと)というところを紹介させていただきたいと思います。

山王廃寺跡の住所は前橋市社町総社字山王2048、最寄り駅はJR上越線群馬総社駅です。

現在、山王廃寺跡の一角には、日枝神社という神社があります。この神社のある場所が、五重塔と推定される塔が建っていたところです。大正十年(1921年)に、この神社の境内で巨大な塔心礎が発見されたことから、かつてこの神社のある一帯に壮大な寺院があったということが明らかになりました。

群馬県高崎市山名町に、山上碑(やまのうえひ)という石碑があります。これは、天武天皇十年(681年)に放光寺(ほうこうじ)という寺院の長利(ちょうり)という僧侶が母親の黒売刀自(くろめとじ)の墓の墓誌として建てたものです。山上碑が言及している放光寺という寺院がどこにあったのかということについては定説がなかったのですが、山王廃寺跡の発掘調査で、「放光寺」とヘラで刻まれた瓦が出土したことから、現在では山王廃寺が放光寺であるというのが定説になっています。

日枝神社の境内には六角形の覆屋があります。その中を覗き込むと、地面よりも低いところに巨大な塔心礎があるのが見えます。私は知る人ぞ知る塔心礎オタクですので、日本の各地にある数々の塔心礎を見てきましたが、山王廃寺跡の塔心礎は、その萌え度の高さにおいて、これまでに出会った塔心礎の中で群を抜くものです。

第一の萌えポイントは、その大きさです。山王廃寺跡に立てられている説明板には、「東西三m、南北二・五m、厚さ一・五mという巨石を加工したものである」と書かれています。そして第二の萌えポイントは、そのユニークな形状です。説明板には次のように書かれています。

心礎のほぼ中央には、径六五cm、深さ一八cmの孔(柱受けか)と、さらにその中央に径二七cm、深さ三〇cmの舎利孔との二段の孔がうがたれている。孔の周囲には径一〇八cmの環状の溝があり、そこから放射状の溝が東西南北の方向をさして刻まれている。

柱受けの孔があって、その中央に舎利孔がある、というのは塔心礎の多くに共通する形状ですが、山王廃寺跡の塔心礎は、柱受けの孔の周囲にさらに円形の溝があります。つまり、舎利孔、柱受け、溝、という三重の同心円があるわけです。さらに、その溝から外に向って、あたかも座標軸のように4本の直線の溝が刻まれています。このような形状の溝が刻まれた塔心礎というのは、おそらくきわめて珍しいのではないかと思われます。

日枝神社の境内で見ることのできる放光寺の遺物は、塔心礎だけではありません。塔心礎の覆屋とは別に、もう一つ覆屋があって、その中には根巻石(ねまきいし)と石製鴟尾(せきせいしび)が置かれています。根巻石は昭和二十八年(1953年)に国の重要文化財に指定されていて、石製鴟尾は昭和十一年(1936年)に国の重要美術品に指定されています。

根巻石というのは、塔の心柱と地面とが交わるところに、心柱を囲むように置かれる石のことです。山王廃寺の根巻石は7個で一組になっていて、それらが組み合わさることで、全体として蓮の花の形になって、その中に円形の空間ができるようになっています。

鴟尾(しび)というのは、寺院などの屋根の両端に取り付けられる飾りのことです。東大寺大仏殿や唐招提寺金堂の屋根にも、鴟尾が取り付けられています。鴟尾は瓦で造られるのが普通ですが、山王廃寺の石製鴟尾は、その名前のとおり石で造られています。石でできた鴟尾というのは極めて珍しく、山王廃寺のもののほかには、鳥取県西伯郡伯耆町にある大寺廃寺(おおてらはいじ)のものしか知られていません。

山王廃寺は、高崎市の中心部からそれほど遠くないところにあるにもかかわらず、著名な観光スポットではないようです。しかし、古い石造の文化財が好きな人にとっては、一見の価値があると言っていいでしょう。