「五大記」第四十八話を公開しました

五大記」の第四十八話を公開しました。タイトルは「大量生産」です。

私は、一神教というものが大好きな人間です。一神教のことが好きすぎて、「一神教学会」という宗教団体を作ってしまったほどです。しかし、一神教に属するどの宗派に対しても、平等に好意を抱いているわけではありません。一神教に対する私の好意には、宗派ごとに多少の濃淡があります。たとえば、イスラームに関しては、スンナ派よりもシーア派のほうにより強い好意を抱いています。

キリスト教に関しても、私が抱いている好意には宗派ごとに濃淡があります。キリスト教には、大きく分けると、カトリック正教会プロテスタントという三つの宗派があるわけですが、それらのうちで私が最も強い好意を抱いているのは、カトリックです。キリスト教の他の宗派よりも相対的により強い好意を私がカトリックに対して抱いている理由の一つは、三つの宗派のうちで、三位一体の神ではない存在者に対する「崇敬」と呼ばれる行為に関する熱意が最も高いのがカトリックだからです。

カトリック正教会プロテスタントも、崇拝の対象が三位一体の神であるという点に関しては共通しています。しかし、神以外の存在者を崇敬することに関する熱意は、宗派ごとの差が顕著です。マリアや聖人たちを対象とする崇敬の熱意に関して、カトリック正教会との間の差は顕著ではありませんが、聖遺物を対象とする崇敬の熱意に関しては、カトリックのみが際立っています。

西洋美術史学者の秋山聰さんによると、聖人や聖遺物が奇跡を起こすのは、神に由来する「ウィルトゥス」(virtus)と呼ばれる力がそこに宿っているからだそうです。この「ウィルトゥス」と呼ばれる力は、あたかもウイルスのように伝染すると考えられています。聖遺物というのはウィルトゥスを常に周囲に放射していて、それを浴びたものは、それ自身もウィルトゥスを宿すことになります。ですから、聖遺物を容器に収納していた場合、その容器もまた聖遺物と化すことになります*1。このように、神社の祭神を勧請することによって新しい神社が創建されるのと同様に、伝染によって無限に増殖していくというのが、聖遺物というものの面白いところです。

「五大記」第四十八話は、聖遺物をめぐる物語です。ただし、「五大記」というのは地球を舞台とする物語ではありませんので、この第四十八話にも、キリスト教という宗教は登場しません。ですから、この物語に登場する「聖遺物」と呼ばれる物体も、キリスト教における聖遺物とはまったく異なるものです。

キリスト教における聖遺物は、人類全体の歴史にとって、それほど大きな意味を持つ物体ではありません。しかし、「五大記」第四十八話に登場する聖遺物は、人類の歴史を大きく動かす鍵となる物体です。さて、それではこの物体は、いったいどのように人類の歴史を動かすのでしょうか。この点につきましては、ぜひ、本編を読んで確かめていただきたいと思います。

*1:秋山聰『聖遺物崇敬の心性史』(2009)、pp. 16-18。