「五大記」第五十二話を公開しました

五大記」の第五十二話を公開しました。タイトルは「焦土」です。

7月10日に投票が実施された参議院の選挙で改憲勢力が3分の2を超える議席を確保したことによって、憲法を改正するための国民投票というものが近い将来に実施されることに現実性が浮上してきました。太平洋戦争という悲惨な戦争を経験した日本の国民が憲法第九条の改正を是認するということはないだろう、と思いたいところですが、敗戦から71年の年月が過ぎて、戦争の悲惨さを体験した人々の多くが寿命を迎えたためか、最近は、第九条の上に暗雲が立ち籠めています。

百田尚樹さんという小説家によって書かれた『カエルの楽園』という小説は、明らかに、憲法第九条の改正を扇動するという目的で書かれたものです。その小説を読んで感銘を受けた人々の多くは、もしも第九条を改正する改憲案が発議されたならば、その改憲案に賛成票を投じることになるだろうと推測されます。恐ろしいことに、その小説は、かなり好調な売れ行きを示しているようです。これは、第九条を守りたいと考えている者たちにとって、きわめて憂慮すべき事態です。

『カエルの楽園』という小説について考えるときに私が想起するのは、小説家の村上春樹さんがエルサレム賞の授賞式で語った"Always on the Side of the Egg"と題するスピーチです。村上さんはその中で、「高くて硬い壁と、それにぶつかって割れてしまう卵との間にいるならば、私は常に卵の側に立つ」ということを心の壁に刻んでいると述べています。そして、それに続けて次のように語っています。

そう、壁がどれほど正しく、卵がどれほど間違っているとしても、私は常に卵の側に立つでしょう。何が正しくて何が間違っているかを他の誰かが決めなければならないでしょうが、それを決めるのはたぶん時間か歴史でしょう。いかなる理由があるとしても、もしも壁の側に立って作品を書く小説家がいたならば、そんな作品にどんな価値があるのでしょうか。

「五大記」第五十二話は、『カエルの楽園』に対する私からのささやかなアンチテーゼです。百田さんの小説が、平和主義を守り続けるならば日本は滅亡するだろうという因果関係を語っているのに対して、私の小説は、平和主義を捨てるならば日本は滅亡するだろうという因果関係を語っています。これらの因果関係のそれぞれが正しいのか間違っているのかということは、私には分かりません。どちらも正しいのかもしれませんし、どちらか一方だけが正しいのかもしれませんし、どちらも間違っているのかもしれません。しかし、一つだけ確実に言えることがあります。それは、壁と卵という村上さんの比喩を借りて言うならば、改憲勢力は壁であり、平和主義は卵だということです。