エスペラント会館で講義をしてきました

先日のブログでお伝えしておりましたとおり、去る3月14日(日)、エスペラント会館京都市下京区西洞院五条上る)におきまして、宗教多様性に関する講義をして参りました。その日の京都は雲一つない上天気で、春の陽気に包まれた一日でした。私の拙い講義を聴くためにおいでくださいました皆様、そして、宗教多様性について喋る機会を私に与えてくださいましたNPO法人日曜大学の関係者の皆様、本当にありがとうございました。

私が喋った内容につきましては、講義草稿(「宗教多様性と共存型一神教」)をご覧いただくことにいたしまして、このエントリーの残りの部分では、講義の内容とはまったく関係のないことも含めて、その日の出来事をあれこれと書いておきたいと思います。

講義が始まる4時間ほど前、のんびりと京都の裏通りを歩いていたとき、建物の軒先に立てられた「将門塚保存会」という幟が目に留まりました。建物に掲示されていた説明によると、その建物は平将門を祀る神社で、その鎮座地は将門の首が晒された場所なのだそうです。建物の中に入ってみると、小さな祠があって、その右側には賽銭箱、左側には高さ数十センチの石が置かれています。その石は、空也上人がこの地で将門の供養をしたときに印として建てられたものだそうです。このような裏通りにも歴史を語る遺物があるというのは、さすが京都です。そんなわけで、講義が無事に終わりますようにと将門公にお願いをして、神社を後にしました。

私の講義を聴いてくださったのは7名の方々でした。学生を前にして講義をする場合はほとんど緊張しないのですが、やはり聴講者が社会人の方々ですと、緊張は避けられません。しかし、緊張していたのは講義が始まった当初の間だけでした。講義の途中でしばしば割り込んでくる質問が緊張をほぐしてくれたのか、そののちは、かなりリラックスして喋ることができました。

講義が終わったあと、質疑応答を兼ねたディスカッションがありました。さまざまな問題が話題に上ったのですが、その一つは、「日本人は本当に一神教が嫌いなのか」という問題でした。

私は講義の中で、民主党小沢一郎幹事長によるキリスト教を批判する発言や、多神教優位論を引き合いに出して、「日本人の多くは一神教が嫌いなのだ」と述べたのですが、聴講者の方々からは、「小沢幹事長は、仏教をヨイショするためにキリスト教と比較しただけで、キリスト教が嫌いなわけではないのではないか」、「一神教が嫌いな日本人というのは、それほど多くないのではないか」というような意見が出されました。

日本人のうちで、ユダヤ教キリスト教イスラームなどの一神教を信仰している人々がきわめて少数だ、というのは事実です。一神教を信仰している日本人が少ない理由の一つは、日本人の中に一神教を嫌っている人が多いからだろう、と私は考えています。しかし、一神教が好きなわけではないけれども嫌いとまでは言えないという日本人が少なからず存在している、というのも事実であろうと思われます。

ですから、日本に一神教を根付かせることは、けっして不可能ではないでしょう。ただし、そのためには、日本人が一神教を受け入れやすくなるように教義をローカライズすることが必要です。神道の神々や仏教の諸尊の存在を否定するのではなく、彼らの存在を肯定した上で、第一原因としての神の存在を主張する教義であれば、一神教であっても、多くの日本人にとって受け入れやすくなるのではないでしょうか。