聖なる教えの白蓮

先日のエントリーで、私は、「LaTeX実習マニュアル」へのアクセス数が1月に増加した理由について、「学生がレポートに追われる季節なので、リファレンスとしての需要が一時的に増大したからではないかと推測されるのですが、真相は不明です」と書きました。

その真相は依然として不明ですが、1月は、我が家を訪問してくださった方々が検索エンジンに入力したキーワードにも、レポートに追われる学生たちの姿を髣髴とさせるものがありましたので、報告しておきたいと思います。

キーワード アクセス数
神学大全 聖なる教え 5
神学大全 聖なる教え 3
神学大全 聖なる教えについて 2
神学大全における聖なる教え 2
神学大全における聖なる教えについて 2
神学大全における聖なる教えについて 考察 2
神学大全 聖なる教えが必要 1

神学大全」というキーワードで我が家を訪問してくださる方はコンスタントにいらっしゃるのですが、「聖なる教え」との合せ技というのは、きわめて特異なものです。どうやら、日本国内のどこかの教育機関で、「神学大全における聖なる教えについて」というテーマでレポートの課題が出されている模様です。この課題を出した人は今ごろ、提出されたレポートの中に、高田三郎さんの重厚な訳文ではなく、山田晶さんの流麗な訳文でもなく、誤訳だらけの醜悪な訳文が引用されているのを見て、「なんじゃこりゃあ!」と驚愕の叫びを上げておられるに違いないなどと空想していると、苦笑を禁じ得ません。

当世の学生たちは、学術上の文献がネット上に大量に置かれるようになった時代に学生生活を送っていて、すごく恵まれてるなあ、と私はいつもうらやましく思っているのですが、その反面、ネット上の文献を引用するだけでは飽き足らず、地の文までも他人の文章からコピペしているレポートを読んでいると、彼らは実は不幸な時代に生きているのではないかとも思わされます。なぜなら、「上手にコピペすれば、「文献を探す時間」だけではなくて、「自分で考える時間」さえも節約することができるんだよ」というネットからの誘惑に抗うためには、強靭な意志の力を必要とするからです。もしも自分が当世の学生だったと仮定して、そのようなネットからの誘惑に自分は果たして抗うことができるのかと自問してみた私は、それができる自信はまったくないと答えざるを得ない自分に愕然としました。