「五大記」第四十六話を公開しました

五大記」の第四十六話を公開しました。タイトルは「留学」です。

昨年の10月、文部科学省は、学校法人幸福の科学学園が開設を申請していた「幸福の科学大学」という大学について、開設を不可とする答申を出しました*1。開設を不可とする理由として、文部科学省は、幸福の科学大学の教育内容は科学的根拠のない大川隆法氏の著作に基づいており、これは学校教育法第83条第1項が定める大学の目的に合致していないと指摘しています*2

文部科学省は、大学というのは科学的根拠のない学問の教育をしてはならないと考えているようです。しかし、学校教育法第83条第1項に定められている大学の目的というのは、次のようなものです。

大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする。

この条文のどこにも、大学が授ける知識には科学的根拠がなければならないとは書かれていません。もしも、大学は科学的根拠のない学問の教育をしてはならないのであるならば、文部科学省は、上智大学同志社大学関西学院大学などに設置されている神学部の認可を取り消さなければならないことになってしまいます。なぜなら、「神学」と呼ばれる学問は、「神は存在する」という反証可能性のない命題を前提として成り立っているものであって、科学的根拠を持たないからです。したがって、神学部の存在を認めておきながら幸福の科学大学の開設を認めないという文部科学省の姿勢は、ダブルスタンダードであると言わざるを得ません。

我々が存在している現実の世界においては、神というのは超自然的な存在者であって、自然科学が研究の対象にすることのできる存在者ではありません。ですから、現実の世界における神学は、科学的根拠を持たないまま、大学の神学部においてこれからも教育され続けるでしょう。しかし、現実の世界ではなく想像上の世界においては、神は超自然的な存在者であると設定しなければならないという制約はありません。現実とは異なる世界を構築しようとする者は、自然科学が研究の対象にすることのできる存在者として神が存在する世界を構築することも可能です。もしもそのような世界に神学が存在するならば、その神学は科学的根拠を持つことになります。

「五大記」を構成している物語の多くは、神が実在する世界を舞台としています。そして、第二十五話第三十八話第四十二話には、実在する神を研究の対象とする神学が登場します。

「五大記」第四十六話も、神々が実在していて、それらの神々を研究の対象とする神学が存在する世界を舞台とする物語です。その世界に住む人間たちにとって、神々は、実在することは明らかですが、接触が不可能な存在者たちです。神々を科学的に分析することができないため、人間たちは、多くの仮説から構成される神学を構築しました。しかし、科学技術の発達によって、ついに人間たちは神々との接触を果たします。その結果として、その世界の神学は根底から再構築されることになります。神学の再構築は、人間たちにどのような変化をもたらすのでしょうか。この点につきましては、ぜひ、本編を読んで確かめていただきたいと思います。

*1:幸福の科学大学「不認可」へ」、やや日刊カルト新聞、2014年10月29日。

*2:幸福の科学大学を「不可」とする理由」、文部科学省