Yonus Mendoxさんによる「神学大全」の日本語訳に対するコメント

先日、Yonus Mendoxさんという方が「神学大全」の日本語訳を始めたということをTwitterで知りました。現在、「考えるのに,安全でも適切でもありません」というブログで、序言と第一部第一問題序言の訳文が公開されています。

少なくとも自然言語に関しては、ある言語から別の言語への翻訳に、完全というものは存在しません。ですから、一つの文章に対して何人もの人間がそれぞれ独自の翻訳を試みるというのは、けっして無駄な行為ではありません。その結果として生成される複数の訳文は、不完全さを相互に補完することによって、「完全な翻訳」という到達不可能な目標に接近することになります。

神学大全」はきわめて深遠な内容を記述したテキストですから、その日本語訳は、一つや二つではまったく不十分です。可能な限り多くの人間による日本語訳が必要です。そのような意味で、Yonus Mendoxさんによる日本語訳が開始されたことには大きな意義があります。

以上は前置きで、ここからが本題。Yonus Mendoxさんの訳文を読ませていただいたのですが、第一部第一問題序言の訳文の中に、ちょっと引っかかりを感じるところがありましたので、僭越ながら指摘させていただこうと思います。

引っかかりを感じたのは、トマスが"Octavo, utrum sit argumentativa."と述べているところです。Yonus Mendoxさんはこれを、

8. 論争的であるか.

と訳しておられるのですが、「論争的」という言葉には少し違和感があります。第八項で問題になっているのは論争ではなくて論証ではないかと思われますので、「論証的」と訳すほうがいいと思うのですが、いかがでしょうか。